01 | 海外高校卒業プログラム | |
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在 籍:東関東の私立中学校の中学3年生(女子)Kさん
不 登 校:中学1年生の冬ころから
ご相談時の状況:起立性調節障害、とってもおとなしい、人間関係
初回 の 面談:8月、秋葉原カウンセリングルームにて、お母さまとKさんでご来室
留 学 国:ニュージーランド
起立性調節障害の疾患でお悩みでした。起立性調節障害とは、自律神経の異常で循環器系の調節がうまくいかなくなり、脳や全身の血液循環が悪く、頭痛や倦怠感を伴い、日常生活にきたす疾患と言われています。発症時期は小学校高学年から高校生の思春期に多く、その発症率は全体の10%とも言われ、不登校の児童、生徒、学生の30%~40%はこの疾患だと言われています。その疾患に悩みもありながら来春からの高校への進学先を模索していました。インターネットで調べている中で私たちターニングポイントに出会い、お会いする機会となりました。わざわざ東京までお越し頂けたのは、カウンセリングルームの所在地も大きかったとお母さまは言います。「誘い出すのに秋葉原は好立地でした」ゲームやアニメ好きの子どもたちにとって、言わば聖地と言われる秋葉原は、Kさんだけではなく、多くの子どもたちがきっかけとして訪れやすい地域のようです。
まずは、お子さまの現状についてゆっくりお話を伺いました。終始うつむいていたKさんでしたが、お母さまの優しい言葉運びで状況の把握をしっかりと取ることができました。今度は「留学」について、留学ってそもそもどんな感じなのだろう、というところを一(イチ)からゆっくり丁寧にお伝えいたしました。お子さまの表情を確認しながら、お母さまにちゃんと届いているかを確認しながらお話は進みます。途中、疑問や質問があれば、その都度話を止めて、戻ったり進んだりしながら和やかな時間であったことを思い出します。お母さまのKさんに対する優しい眼差し、声掛け、決して牽引するのではなく、寄り添う姿勢には、学ぶことも多かったと感じます。留学先はニュージーランド。起立性調節障害を専門に診ている先生に伺うと、起立性調節障害のお子さまには気候の安定している地域が良く、ジメッとした地域よりもカラッとして地域(カナダやニュージーランド)、留学先ならば大きく時差のない地域(オーストラリアやニュージーランド)が良いと言われています。 それからは、お電話などで疑問や質問にお応えしながら、9月にお申込みを頂きました。すぐに定期的なカウンセリングが開始され、決まった曜日決まった時間に、Kさんは電話をかけてきてくれました。毎週なんらかの課題を出し、1週間後にその課題についてお話をして参りました。「定期的なカウンセリング」や「課題」というと、難しそうに聞こえるかも知れませんが、「先週1週間はどうしていたの?」「今何をしている時間が楽しい?」というような会話の中から言葉を紡ぎ出すきっかけを示し、言葉を紡ぎ出せたことを褒め、応援していることを伝えています。
同時期に始まる「マンツーマン英会話レッスン(10回)」ですが、全く英語に触れたことのない子どもたちばかりですので、ネイティブの講師も良く分かっています。ゆっくり丁寧に英語に触れあって頂いておりますが、Kさんは10回では足りず、さらに継続して出発までの間レッスンを続けてくれたお子さまでした。 人間関係作りやおとなしい性格もあって、心配することもありましたが、安心して良い場所、安心してよい人であることの認識がしっかりと分かれば、ぐっと近づけることは定期的なカウンセリングから国内ホームステイ体験で感じていました。 現在は、海外校へ編入し高校2年生を満喫しています。
02 | 海外高校卒業プログラム | |
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在 籍:東京都内の私立中高一貫校の中学3年生(男子)Tくん
不 登 校:中学2年生の夏ころから
ご相談時の状況:今の学校が合わない、学校の雰囲気が合わない、ゲームに夢中となり昼夜逆転の日々
初回 の 面談:7月、秋葉原カウンセリングルームにて、お母さまのみご来室
留 学 国:ニュージーランド
まずは、お母さまの胸の内をじっくりお伺いいたしました。 アイスランドに旅行をした経験があり、その時の印象がとても良かったようで「アイスランドにだったら留学したい」と言っているというお話でした。しかし、私たちターニングポイントは、アイスランド留学への知見に乏しかったことと、果たして15歳の男の子が単身で留学した後のことを想像し、サポート体制などが十分なのかをお母さまと共に話し合いを行いました。私たちがご紹介している海外高校卒業プログラムは英語圏です。そしてご提供できるサポートについて、国内サポートから海外サポートまでの一連の流れをご紹介して参りました。
高校の進学先は、英語圏でしっかりと英語を学び習得し、そして世界の共通語である英語力を手に入れ大学の進学先としてアイスランドという道もあるのではないかと、ご提案いたしました。
それから数日が経過して、お母さまとT君が再びご来室にいらっしゃいました。
Tくんと面談するのはこの日が最初でした。緊張しつつもどんな話をしてくるのだろうという期待もあったことで、普段なかなか外出をしないお子さまが秋葉原まで来てくれたのは、大きな一歩であると感じました。
お話は前回お母さまにお話した内容を、今度は本人の目を見て、Tくんに届くように丁寧にそしてゆっくり、伝わっているかを確認しながら進めて参りました。アイスランドへの留学への想いも受け止めながらも、私たちターニングポイントが提供できるサポートについて、日本の学校と海外の学校との大きな違い、好きなこと得意なことを認めそしてさらに引き伸ばしてくれる海外の教育の懐の深さなどを伝えて参りました。Tくんとのコミュニケーションとしては、直接話すことをあまり好まなったのでスカイプのチャットを使ってのやり取りが続きました。
お申込み頂きましたのが11月。急いで留学手続きに入りました。そして同時に「国内サポート」を開始いたしました。定期的なカウンセリングは、電話でのカウンセリングが多いのですが、今まで通りスカイプのチャットでのやり取りで進めて参りました。そんな中でも、出発の1カ月前には「国内ホームステイ体験」が行われました。前日まで「やっぱり行かない」と動揺していましたが、当日はお母さまに連れられて来てくれました。一緒にカレーを作って食べてオセロやボードゲームをするという時間の中で、スカイプチャットでは伝えてこなかったことの数々が本人の口からこぼれ出してきました。留学への漠然とした不安や期待、さまざまなことを一つひとつ分かりやす言葉で伝えることで、笑顔が見えるようになりました。
お申込み頂きましたプログラム「海外高校卒業プログラム」は4月からの開講です。よって3月末に渡航するお子さまが多いのですが、Tくんは「もっと早く留学したい」という気持ちが芽生え、出発を1月末に変更することになりました。2カ月早めることで、中学校の卒業式も出席しない選択をし、同じときに入学する子どもたちより2カ月早く英語に触れることを選びました。この選択は、現在留学中の英語力に大きく寄与しているものと感じます。 出発前は、留学先へ持ち込んだノートパソコンだけではなく、ゲーミング用パソコンを送るようにとご家族に頼んでいましたが、それも必要ないくらいに充実した日々を送り、学校の出席率も100%です。
03 | 海外高校卒業プログラム | |
03 | 海外高校卒業プログラム | |
「留学した時には英検3級も持っていなかったんですよ」というYくん。「留学が決まってから英会話学校に通うも全く英語が分からなく正直心配でした」と明るく話してくれましたが、いつかは「留学してみたい」という淡い期待は小さいころから持っていたそうです。なんで留学したいと思っていたの?と聞くと、叔父が10代の時に留学した時の話をお正月に会うと良く聞いていて「留学は若いうちするのがいい」と口癖のように言っていたからだそうです。それでも、いざ留学するとなると心配事はなかったの?と聞くと「なんとかなるかなぁ」くらいでしたと。
事実、4月に渡豪してすぐにその私立高校に入学するも、英語が分からないためにメインストリーム(本科)には入学させてもらえず、学校が管理するESL(English as a Second Language/英語以外を母国語とする人たちのための)クラスに入ることになりました。これは多くの留学生はここで英語を習得して、メインストリームに入るという流れが一般的です。ただ違うのがそのESLクラスに「どれだけ長くいる」だということだそうです。
オーストラリアは1月の終わりからが学期のスタートであるため、そこに間に合わせるように(ESL→メインストリームに)英語の勉強を頑張ったそうです。ESLクラスでの授業だけではなかなか身に付かなかったと言います。授業が終わって図書館、ホームステイ先に帰れば夕食までの間に単語の勉強…この生活を繰り返したことで、1月の学期スタート前にメインストリームに加わることが出来たそうです。「最初の5ヵ月くらいまでは辛かったですね。言っていることは直ぐに分かるようになったんですが、こっちから言いたいことがなかなか言えなかったです」と。「それでも5カ月くらいが経った頃から急に、それが本当に急に言えるようになり学校でも手を挙げて質問したり答えたりが出来るようになったんです。ほんと不思議です」「それからの生活は一変。楽しくてしょうがなかったです」少し経緯をおさらいしますと、
埼玉の私立高校1年生の1月に退学し4月に渡豪。翌年1月の終わりにYear12(高校2年)に入学しました。(以下時系列参照)
ということは、同級生と1年ずれているということなります。「Year13に上がる前には大学をどうするかを親とも相談しました」「オーストラリアの大学にするか日本の大学にするか、または別の国の大学にするかを」もの凄く選択肢の幅が広がったわけです。日本の大学を選んだ主な理由を聞くと「日本に帰りたいです。日本食を食べたいです」といったいたってシンプルな答えにも長く一人で海外で生活してきた者からの言葉だけに「うんうん」とうなづけました。「帰国生枠受験を目指し、日本の予備校の帰国生受験の講座を受け小論文の書き方などをアデレードの図書館で勉強してました笑」「TOEFLiBTも100点取れたんですけど、まだまだ分からない単語はあるので継続して勉強しています」と。TOEFL100点はすごいです!
「留学して本当に良かったと思っています。親に感謝しています。留学しなければ出会えなかった友人、留学しなければ感じられなかった国と国との違い、そこから生まれる差別や格差など、今はその社会問題にも興味を持っています。1年間遅れてしまうことに最初は戸惑いがありました。でも、そんなの一瞬のことだと今は思えます。オーストラリアでの教育の在り方は、みんなで話し合うディスカッションでの授業が多かったです。テーマを決めてみんなで意見を言い話し合う授業です。最近日本の教育現場でも言われているような、問題を見つけそれを解決していく力を育む教育ですかね。それと、日本の詰込み教育に批判が偏りがちですが、あの教育も全否定はしないです。あれにも良さがあると思っています。この欧米の教育と日本の教育が良いところを持ち寄った教育の姿がいいと思います」 「大学では、オーストラリア留学時代よりも英語の文献を読むことが多く、まだまだ英語の勉強をし続けています。」
最初にお父さまとお会いした時には「高校を中退してそのまま海外の高校に留学させたい」というお話からでした。高校を中退していくにはリスクの説明もしましたが、通われている学校が「休学」を認めない学校であったために、中退という道を選択しオーストラリアに行くことになりました。最初の5ヵ月間はホームシックになったこともありました。ツイッターで実家近くの駅の写真が流れてきてそれを目にした時には涙が止まらなかったという話も留学中聞きました。それでも頑張らなければならないという気持ちを強く持って、我々も励まし続けました。「留学すればきっといいことがある」という、留学先はユートピアのようなお話もたまに耳にするのですが、そのいいことがある手前には、「乗り切る努力」とそれを「支えるサポーター」の存在があってこそだと思います。 乗り切るために、我々はマラソンの伴走者のように常に振り向けばそこにいる存在であり続け、挫けそうになったときに「今出来ること」を具体的に提示し、ステップの幅を小さくしたり大きく引き伸ばしたりしながら、達成感を感じられるように導くことをしています。また、支えるサポーターの代表格であるご家族さまにも、日々どのような生活をしているか、学業の成績についても、和訳した成績表を用意し、数字には表れづらい取り組みや努力していることなどを現地のサポートスタッフと連携を組んでご報告することで、温かい目でYくんを支えて下さって頂きました。